雲仙岳災害記念館 がまだすドーム

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くらしの中の火山

「普賢さん」と雲仙・島原の人々

昔から噴火を繰り返し、時には大きな被害を与えてきた雲仙普賢岳。それにもかかわらず地元の人々はこの山を「普賢さん」と呼ぶ。それは火山活動を恐れる気持ちにもまして、普段の美しい姿や普賢岳を中心とした豊かな自然、さらには温泉や湧水などの恵みに、人々が感謝と親しみの気持ちを抱いているからだ。

火の山に人々は神の力を感じた - 信仰の対象としての普賢岳

平成の大噴火で失われてしまったが、普賢岳山頂近くには普賢神社があり、人々の信仰を集めていた。神社には修業のための篭り堂などもあって、この神社が山そのものをご神体としていたことがうかがわれる。古い記録によるとこの神社が建てられたのは1737(元文2)年のことで、それ以来地元の人々は、火山活動が活発になると山が平安であるようにという祈りを捧げてきたんだ。

逆境の中でのがんばり - 島原半島の農業・畜産業
梨狩り偕楽園
梨狩り偕楽園

意外に思う人がいるかも知れないが、長崎県は日本有数の農業県なんだ。中でも平成の大噴火で被害を受けた地域は、畑作や畜産を中心とする農業地帯でもあった。災害のあとこの地域では、土地を整備し、安全対策をほどこした新たな農業が生まれてきている。

火の山・水の里 - 観光地としての島原半島

雲仙という地名は「温泉」が語源といわれている。
観光地としての島原半島を語る場合、やはり温泉はまっさきにあげなくてはならないだろう。ただ島原半島の魅力は温泉だけではない。
火山の荒々しいながめ、山麓の豊かな緑、変化に富んだ海岸線、そして長い歴史を物語る史跡や、清流の流れる街並みなどは、昔から多くの人をひきつけてきたんだ。文明開化の時代、長崎に住んだ外国人たちもしばしばこの地を訪れ、すばらしいリゾート地だと島原半島をたたえている。
雲仙が日本最初の国立公園に指定され、また島原半島が日本で初めて世界ユネスコジオパークに認定されたのも、こうした背景があったからだ。