雲仙岳災害記念館 がまだすドーム

文字サイズ
  • 標準
  • 拡大

雲仙岳・平成の大噴火の場合

大崎鼻より平成新山を望む
大崎鼻より平成新山を望む

では雲仙岳の平成の大噴火の場合はどのような変化が観測されていたのだろうか。どのような対策がとられたのだろうか。そして今はどのような観測体制がとられているのだろうか。

平成の大噴火の教訓

静寂をとりもどした平成新山

今回の大噴火は大きな災害をもたらした一方で、観測体制がもたらした予測によって、さまざまな対策がとられ多くの人命が守られた。

地震
太田一也教授
太田一也教授

九州大学の太田一也博士が1972年に発表したマグマ供給システムの考え方。太田博士は雲仙岳周辺の温泉の泉質分布や地質構造、地震現象などを総合的に研究し「雲仙火山のマグマ溜まり橘湾下にある」という仮説を立てた。この仮説によると今回の噴火の前兆現象は次のように見ることができる。

震源の移動
写真提供:九大地震火山観測研究センター 写真提供:九大地震火山観測研究センター
写真提供:九大地震火山観測研究センター

噴火のほぼ1年前の1989年11月、橘湾で起った群発地震は次第に島原半島西部でも起り始めた。ここは太田モデルによると、マグマの上昇ルートにあたる。つまり橘湾下のマグマ溜まりから、マグマが上昇ルートに移動してきたことになる。しかしこの時には噴火は予測されなかった。それはこれまでも、島原半島西部ではしばしば地震が起きていたからだ。

火山性微動
写真提供:九大地震火山観測研究センター授
写真提供:九大地震火山観測研究センター

1990年7月4日、山頂から北北東3.5kmの位置に置かれた地震計が火山性微動と考えられる波形をとらえた。三日後、今度は普賢岳周辺のごく浅い地点でマグニチュード3.9の地震が発生。その後も山頂直下付近では地震活動が続いた。地震の波形を詳しく分析した結果わかったのは、普賢岳直下近くを通った波はいちじるしく減衰することだった。このデータによってマグマが上昇してきていることがわかり、噴火の可能性は次第に大きくなってきた、と思われるようになった。

最初の小噴火
噴煙を上げる普賢岳(90年11月17日)
噴煙を上げる普賢岳(90年11月17日)

1990年11月17日の早朝、1663年と1792年の噴火と同じ九十九島火口と地獄跡火口で小規模な水蒸気爆発が発生。雲仙岳測候所は9時10分「臨時火山情報第1号」を発表した。観測体制はこの日を境に格段に強化された。

新たな噴火口の誕生
新たな火口(91年2月12日 写真提供:太田一也教授)
新たな火口(91年2月12日 写真提供:太田一也教授)

一旦活動は収まったが翌1991年1月、火山性微動が復活、2月に入るとまったく新しい火口(屏風岩火口)で噴火が起こった。続いて地獄跡火口の噴火も再開した。この噴火はマグマ水蒸気爆発と見られ、マグマが次第に浅いところまで上昇していることを示すと考えられた。4月15日には赤松谷上流で初の土石流が確認された。

続く異変
91年(平成3年)5月15日
91年(平成3年)5月15日 91年(平成3年)5月19日
91年(平成3年)5月19日

5月になるとマグマ水蒸気爆発に変わって、火口付近のごく浅い地点を震源とする小さな地震がひんぱんに発生するようになった。この地震活動の震源は次第に浅くなる傾向があった。また光波測量のデータは普賢岳が1日あたり10cmの速度で膨張していることを告げていた。また5月15日には水無川上流の住民に対し島原市は、土石流に対する避難勧告を初めて行なった。

緊急コメント

こうした状況を踏まえ、5月17日、下鶴火山噴火予知連絡会会長は次のようなコメントを発表し警戒を呼びかけた。「…5月13日ごろからは、これまで観測されていなかった活動火口直下のきわめて浅い地震と火山性微動が頻発するようになってきた。さらに地殻変動や地磁気の変化なども観測されている。これらの現象は火山活動の活発化を示しており(マグマが浅いところまで上昇していると推定される)警戒が必要であり、今後も厳重な監視を続ける」

溶岩ドームの出現と火砕流の発生
出現した溶岩ドーム
(91年5月21日撮影 写真提供:太田一也教授) 火砕流(91年5月24日)
火砕流(91年5月24日)

緊急コメントはわずか三日後に現実のものとなった。1991年5月20日、地獄跡火口に溶岩ドームが出現した。日々体積を増し、姿を変える溶岩ドームは、5月24日には火口から溢れ部分的に崩落し、最初の火砕流として水無川源頭部を流れ下った。

新たな噴火口の誕生
91年(平成3年)5月25日
91年(平成3年)5月25日

火砕流の到達距離は次第に延びて人家に迫ってきた。5月26日、治山ダム作業員が火災流で火傷を負った。島原市は、火砕流被害の恐れがある地域の住民911世帯・3530人に対する避難勧告を行なった。雲仙岳測候所は火山活動情報(現在は緊急火山情報)を発表した。これは人的被害が予想される場合に出されるもので、いわば最高ランクの警報。同じ日下鶴火山噴火予知連絡会会長は、太田モデルの提唱者である太田博士とともに記者会見し、非常に危険な状況なので「これまでのように何かあったら避難するという態勢では十分ではない」と語った。

大惨事
91年(平成3年)6月3日
91年(平成3年)6月3日 91年(平成3年)6月3日
91年(平成3年)6月3日

6月3日午後4時8分、これまでで最大の火砕流が発生した。火砕流の先端は火口から約4.3kmの北上木場地区に達した。この地区には避難勧告が出されていたためほとんどの住民は避難していたが、監視活動を行なっていた消防団員や取材活動を行なっていた記者など、43人が犠牲となった。6月8日の火砕流はさらに延びて5.5km地点まで達したが、前日までに警戒区域に指定されていたため2~300人が救われた。

大惨事からの教訓
91年(平成3年)6月3日
91年(平成3年)6月3日

この悲劇は火山災害に対処するための貴重な教訓を残した。危険を知らせる情報は、新聞やテレビでもきちんと報道されていたのに、なぜこのようなことが起こってしまったのだろうか。それは大規模な火砕流に関する知識が専門家も含めて乏しかったこともあるだろうが、最大の原因は報道陣の過熱取材にあった。島原市災害対策本部は報道陣に対して5月29日と31日の二度にわたって退去を要請した。消防団は29日深夜にいったん退去したが、一部の報道機関によって避難した住民の家の電源や電話が無断で使用されたため、6月2日にふたたび上木場に戻っていたのだった。この惨事は以後の火山災害に生かされることになった。実際、この年の9月、そして1993年の6月に発生した大規模な火砕流では、人的災害を減らすうえで、こうした教訓が生かされた。

雲仙岳を見つめる先端科学の目

噴火を予知するには、地道に観測を続けることが基本だ。そのようにして集められた情報を分析し、噴火の前兆現象を見出していく。情報収集にも分析にも、新しい技術や理論が取り入れられている。雲仙岳ではどうなっているのだろうか?

振動を観測する
地震計
地震計

現在(平成8年4月時点)35台の地震計が雲仙岳の周囲に配置され、マグマの活動や火砕流の発生を監視している。

電磁気を観測する

火口近くの10地点に磁力計を設置して、マグマの動きを磁力の変化によってとらえている。

溶岩ドームを観測する
第10溶岩ローブの温度分布 写真提供:九州大学地震火山観測研究センター
第10溶岩ローブの温度分布
写真提供:九州大学地震火山観測研究センター

航空測量によって得られた新旧のデータを比較し、堆積物の容積の増減や山体の変化をチェックし、またやはり上空からサーマルカメラ(熱映像増置)で火口付近の温度変化を観測している。

地殻変動を観測する
GPS観測
GPS観測

山体の変形、膨張、収縮などをとらえるために、傾斜計や水準測量に加え、光を用いて2点間の距離を測定する光波測量や、GPS(衛星からの電波を受信して観測点の位置を決める方法、カーナビなどと同じ原理)による観測を行なっている。

防災監視システム

火砕流や 土石流などの災害にいちはやく対処するために、監視機器によって収集した情報を行政機関や住民に配信する防災監視システムが24時間目を光らせている。なお、噴火中は自衛隊が目視のほか、レーダーや暗視カメラ、大学の地震計を用いて24時間体制で監視し、防災機関に情報を提供した。また、事後にはヘリコプターを飛ばし被害状況の把握につとめた。

監視カメラ
監視カメラ
監視カメラ

赤外線カメラ、遠赤外線カメラ、スターライトスコープ(高感度白黒カメラ)、リモコン操作が可能な高感度カラーカメラを合わせて23台、水無川流域などに置いている。

水位・流速計

川の水量や流れの速さの変化を観測して土石流の発生を予測するために、水位計・流速計によるチェックをしている。

雨量計・小型レーダ雨量計

土石流は降雨によって発生するので、23台の雨量計と1台の小型レーダ雨量計で雨を観測している。小型レーダ雨量計は降ってくる雨に電波を当て、反射してきた電波の強さから雨の振り方を観測するもので、雨の強さ、雨域の拡がりや動きを連続的にとらえることができる。

衛星通信移動車

土石流が発生すると現場の監視カメラでとらえた映像を衛星通信回線で送る。

防災専用チャンネル

1999年11月から国土交通省雲仙復興事務所のレーダ雨量計や監視カメラがとらえた情報を地域の住民に地元のケーブルテレビ「はっと・ほっとチャンネル24」を通じて提供している。